地球環境を守る 不織布、繊維原料 姫路市
 

棉のはなし(第一話)

    澤田棉行は明治13年(1880年)より姫路の地で136年にわたり「棉」を取り扱う仕事に関わってまいりました。現在は「棉」のみならず各種の合成繊維や天然繊維も取り扱い、これらの繊維を生かして自社工場で快適環境を築く為に不織布の製造と販売を行なっております。

今更ではありますが弊社の原点である「棉」について興味深い本を見つけましたので、記述されているほんの一部分を抜粋し紹介いたします。

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1、棉種の日本伝来

 延歴18年(799年)7月に三河国(愛知県西尾市)に漂着した異国人によって棉の種がもたらされ、今の和歌山県、兵庫県、徳島県、香川県、愛媛県、高知県、福岡県の各地に植えられた。このことは日本後紀、類聚国史、大日本史に記術されています。しかし一部地域では収量が増えたが棉の栽培は難しく知識不十分な日本では徐々に収量が減少し衰退の一途をたどったと思われ、この時点では日本での棉作は定着しなかったようです。この異国人は在中国人より崑崙人(こんろんじん)(中国西部山岳小数民族)と言われたが天竺人(てんじくじん)(インド人)又はマレー人との説もあります。

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2、棉種の再来

 その後、永禄、天正年間(1542~1591年)ポルトガル人が豊後(大分)の大友宗麟に贈ったといわれており、更に文禄年間(1592~1595年)多くの棉種が中国より輸入され奈良県、大阪府、京都府、兵庫県、岡山県、広島県さらに四国に試植され、日本の国土、気候、地味に合い南は九州から関東以北まで植え付けられるようになり、江戸時代には主要産品となり綿糸、綿布や蒲団綿として流通するようなりました。明治期に入ると紡績業が盛んになり国内棉だけでは需要に不足が生じ、財閥系商社が価格の安い中国棉、印度棉を実棉直輸入するようになり、国内棉は減少に一途になりました。しかし大正から昭和30年ごろまでは各地で細々と国内棉を生産していたようです

 

1200年前から我々日本人は「棉」を衣類やふとん、その他繊維製品として生活に取り入れてきました。そして下記の様々な特長を持ち合わせております。

・優れた吸湿発散性 

・中空繊維で天然のヨジレを持っており優れた弾力性 

・肌に優しく静電気も起きません 

・植物で二酸化炭素を吸収し酸素を生み出しエコ 

・再生利用可能

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           参考文献 「綿の郷愁史」「ふとん綿の歴史」 吉村武夫氏著